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ミニコン時代を経て、机の上に載るほどにサイズが小さくなったワークステーション。
ワークステーション戦国時代は、色のない時代でした。
白や灰色、ベージュなどの硬質プラスティック成型色のままのような素っ気ないマシンが部屋に並んでいました。
形やロゴで何のマシンかは辛うじて識別出来ましたが、数年も使っていると日焼けして劣化した上に、静電気で埃を吸いつけて黒ずんだ色が染み込んでいくのは、正に経年劣化そのものを体現していました。
毎朝、皆より早く会社に来てはマシンを丹念に磨いて掃除していましたが、それでも外観の劣化を防ぐことはできませんでした。
ふと、褪せて黒ずんだベージュ色になってしまったマシン達を遠くから見てしまうと、まるで古いマシンですと卑下しているかの如く控えめに主張している様にも視えてきてなんだか物悲しくもありました。
そんな色のない時代に言葉通り異色の「藍色」をしたマシンが目を惹きました。
「藍色」の外観通りでそのマシンシリーズは「インディゴ」"Indigo" という名前です。
「シリコングラフィックス」"Silicon Graphics International; SGI" という会社が創ったマシンでした。
『ブルーライトヨコハマ』:
全く記憶が曖昧なのですが、何かのイベントで展示されていた「インディ」"SGI Indy" を観ました。
時期は一九九〇年前半、多分一九九四年頃(かな?)だったように思います。
イベントの名称も覚えていませんが、「UNI Xシンポジウム」 もしくは 「UNIX Fair」 だったかもしれません。
会場は、新宿付近、否、パシフィコ横浜あたりだったかもしれません。行った場所すら覚えていません。
その頃は年に数回ほど UNIX 関連のイベントに出展して展示者側で参加して居たのですが、確か「インディ」"Indy" を観たのは観客として参加した筈です。
周辺の風景を何にも覚えていませんが、綺麗な「ブルー」のマシンだけは鮮明に覚えています。
ちょっとエッジが利いているイカしたデザインのランチボックス筐体は、それまで見たことのない綺麗なブルーでした。「インディゴ」"Indigo" シリーズが、濃紺もしくは紫がかった青で濃い青色、つまり名前通り「インディゴブルー」で「インディ」"Indy" も同系統で少し薄めですが「インディゴブルー」です。
「インディ」は、エッジが効いたデザインのピザボックス型筐体の上には従来のベージュ色をしたディスプレイが載っていて少し興ざめしそうでしたが、ディスプレイの上には「インディカム」"Indycam" というカメラが付いていてグラフィックスのデファクトスタンダードに恥じない先進的な風貌(機能)でありました。
現在では良いパソコンにはカメラが付いていますが、当時はコンピュータにカメラが付いているのは斬新な機能だったのです。言い換えるならば、後年に「インターネット」"internet" が急速に広まりデスクトップのパソコンが普及してから流行った「ウェブカメラ」"webcam" の祖先みたいなものです。
そう云えばと想い出したことがありました。
イベント会場の「インディ」"Indy" の展示ブースの前で、「いいなぁ、いいなぁ、カッコイイなぁ。」とへばりついて居たら「インディカム」"Indycam" の缶バッジを貰いました。
「青いカメラ」を模したデザインが為された金属製の缶バッチです。
「インディ」"Indy" も「インディカム」"Indycam" も高価でとても手には入りませんでしたが、缶バッチで満足です。
散らかった部屋を探せばその「缶バッチも」どこかにまだある筈です。
SPARCstation 10 のピザボックスを膝に抱えたキリンの記念品マスコットは、ジャングルと化した部屋の奥底深淵部付近で見つかりました。
密林の奥で発見されたソフビ製のキリンは汚れていましたが、石鹸で綺麗に洗って部屋に飾ってあります。
物持ちだけは良いのです。
『季節はずれのアイリス』:
イベントでは「インディカム」"Indycam" の缶バッチで満足しましたが、それは会社のオフィスには筆者専用マシンがあったからです。
専用といってもピンク色でも真紅でもなく、くすんだベージュ色ですがメモリを最大に拡張した愛機 SPARCstation が居たからに他ありません(以前のコラム『第28回 ピザの箱を抱えたキリン』を併せてご覧くださいませ)。
「痘痕も靨」(あばたもえくぼ)なのです。
そのワークステーションの雄として飛躍した「サン・マイクロシステムズ」"Sun Microsystems" の "SPARCstation"(スパークステーション)ですが、SPARCstation シリーズの標準構成ではグラフィックス・アクセラレータが付いていないこともあってグラフィックス・パワーには弱みがありました。
ですから Sun には、グラフィックスでの能力を補うために SPARCstation 拡張モジュールとしてグラフィックス・アクセラレータの "GX" (Graphics accelerator), "TGX" (Turbo GX) などグラフィックス・アクセラレータでのシリーズを相次いで発表し SBus で拡張可能に出来るように投入しましたが、それでも Silicon Graphics には遠く及ばなかった様に思えます。
"CG" (computer graphics) のデファクトスンダードは、"Silicon Graphics" で決まりという認識が広く浸透済みだったのです。
実際にもシリコングラフィックスのマシンは、「コンピュータ・グラフィックス」"computer graphics; CG" の処理専門という程に得意(特化)としたグラフィックス専用マシンでした。
それらマシンには UNIX System V をベースとした "IRIX"(アイリックス)というシリコングラフィックス社製 UNIX オペレーティングシステムが提供されていました。
ハードウエアとして用意された行列計算を高速に並列処理可能なグラフィックス・エンジンを有効に利用するために "IRIX"「アイリックス」には "IRIS-GL" (Integrated Raster Imaging System Graphics Library) 「アイリス・ジーエル」という名前の専用グラフィクス・ライブラリも完備されていてグラフィックス分野に関して無敵の存在だったのです。
"IRIS-GL" 「アイリス・ジーエル」は、後に他のマシンで利用できるようにする移植の際にハードウエァ機能に依存しないライブラリとして開発されたことで広く使われました。
これが "OpenGL" (Open Graphics Library)「オープン・ジーエル」であり、現在もグラフィックスAPI のオープン標準規格として昇華しています。
グラフィックスが得意なマシンは、デザインもカッコ良くて当時は羨望の的でありました。
当時のシリコングラフィックスのマシン・ラインアップは、「インディゴ」"Indigo" 、「インディゴ 2」"Indigo2" 、「インディ」"Indy" 等がありました。どの筐体デザインもカッコ良かったです。
「グラフィックス」をやろうとする方が、自分が使う道具に性能だけでなくデザイン性を求めて拘るのは、古今東西当たり前の嗜好でありましょう。
昔「シリコングラフィックス」そして「マッキントッシュ」"Macintosh" の系譜は、現在も同じく「マック・シリーズ」"MacBook, Mac Pro" で健在です。
『ジュラシック・パーク』:
もう一つ当時「コンピュータ・グラフィックス」が得意という意味で象徴的なトピックがありました。
映画「ジュラシック・パーク」"Jurassic Park" の CG でシリコングラフィックスのマシンが使われたというのを聞き及んだのが、ニュースな出来事でした。
劇中でも「UNIXなら分かるわ。」と孫の「レックス」"Alexis (Lex) Murphy" がコンピュータを操作するシーンのコンピュータは、シリコングラフィックスのマシンで IRIX のファイルナシステム・ナビゲーター「フュージョン」"file system navigator; fsn" (pronounced 'fusion') を操作している画面が映画の一場面として映し出されていました。
公開時「ジュラシック・パーク」を映画館で観ていた時に唐突に「ユニックス」"UNIX" という台詞が耳に飛び込んで来ました。知っている単語が出てきてビックリしたので、そのシーンと台詞ははっきりと覚えています。
映画を観た前か後かは忘れてしまいましたが、前述の UNIX マシンが沢山展示されていたイベント会場で「インディ」"Indy" を弄りたくて「UNIXなら分かるわ。」とばかりに操作しようとしたものの GUI で戸惑い、加えて "System V" のコマンドを知らなくて、上手く操作出来なかったことも思い出しました。
「UNIXなら分かるわ。でも操作できないわ。」
とても残念な感情が湧き上がっていたのを想い出しました。
確か唯一の国産 UNIX マシンとして 同じイベント(もしかすると違うイベントかもしれません)に、"SONY NEWS" (SONY Network Engineering WorkStation) 展示されていましたが SONY NEWS は BSD UNIX だったので操作できて嬉しくなって溜飲を下げて満足したように思います。
『Baby, 途方に暮れてるのさ』:
その頃の UNIX ワークステーション(もちろん SUN SPARCstation)と云えば、コマンドラインで操作するものですし、"BSD" (Berkeley Software Distribution) 系が多かったように思います。後年には、「ビル・ジョイ」"William Joy" を擁して BSD UNIX の立役者であった "SunOS" は "SVR4" (System V Release 4.0) を共同開発し自社にて採用しました。
よくある話ですが、当時の UNIX ベンダー界隈では主要メンバーが徒党を組み始めた事で対立が起こりました。
"AT&T" と "Sun Microsystems"(サン・マイクロシステムズ)の両雄に拠る "Unix International" (UI) の
与党である帝国軍と、"UI" に対抗する組織として組閣された "DEC" (Digital Equipment Corporation)、"HP" (Hewlett-Packard; ヒューレット・パッカード)、"IBM"、"Apollo Computer" (アポロコンピュータ)等が群れる野党のレジスタンス "Open Software Foundation" (OSF) の UNIX 全面戦争です。
一九八八年に始まったこの UNIX 戦争は、六年の歳月を経て一九九四年に終結します。
この UNIX 陣営を帝国軍とレジスタンスに二極化した戦争は、俗に(勝手に)六年戦争と呼ばれます。
終結へと舵を切った背景にあるのは、一九九二年頃から日本でも世間に登場し出した「インターネット」"internet" の存在があることでしょう。「インターネット」は急速に台頭して一九九四年頃にはインターネット接続サービスが民間で普及し始めた影響があるものと看破出来ます。
隔離されて閉ざされた世界に居た「メインフレーム」 "mainframe" や「ミニコン」"mini computer" を牢名主とするコンピュータは、外界から隔絶されて温度調節された寒い部屋の中央に鎮座していて完全に孤立していました。
"mainframe" への反駁から現れた反逆児 "UNIX" を母体として産み落とされた「インターネット」によってコンピュータ達が世界中で繋がり始め出したのです。
急速に視界が開かれていくその様は、「情報の共有」から「意思の伝達」という本質部分が最大化される事を発端にして電子計算機という機器の範疇に留まることなく、出版、放送、小売、金融、地図、発言、交換、思想、を強化と補完することになり、政治、経済、社会、生活へとありとあらゆる人の営みが関わる全ての事象に関与するに至り、これまでの世界を次の階段へと一段階へ押し上げてしまう道具と成り得ました。
UNIX をメインフレームと区別して「オープンシステム」"Open System" と呼称するのは、これが真の理由です。
人々は自らの行為に恐怖したのです。
インターネットの昂まりを受けて六年戦争の早期終結と向けられた講和交渉の際に、政治的な駆け引きを施したことで "SunOS" は 一九九二年から表向きの名前を "Solaris"(ソラリス)と変えた上で、中身も UNIX System V 系に統合することで遂に HP-UX や IRIX の仲間になりました。
『WAVE'95』:
現在では GUI で機器を操作するのは当たり前かもしれませんが、当時(一九九〇年頃)は 唯一 Apple Macintosh の「漢字Talk」を除けば オペレーティングシステムに付属する (SunOSの場合)、 "SunTools"「サンツールズ」、 "SunView"「サンビュー」、"NeWS" (Network extensible Window System)「ニューズ」、 "OpenWindows"「オープンウィンドウズ」、 といった 「グラフィカルユーザインタフェース」(Graphical User Interface; GUI) は、 UNIX (SunOS) などオペレーティングシステムを操作するコマンドを少し補助する付属品程度のものでした(フリー・ソフトウェアとして公開された "X Window System" に、技術で勝ちながら市場で敗れ去った "NeWS" を除けばの感想です)。
片や「マイクロソフト」"Microsoft Corporation" が提供するオペレーティングシステムは、"MS-DOS" (Microsoft Disk Operating System) を経て Windows が登場してまだ 2.0 から 3.0 になったばかりでした。 3.1 になってもコマンドラインがベースなのは変わらず、そこに少し「窓」が出てくるだけのもので UNIXに付属する GUI と 同等かそれ以下の代物でした。
ですから現在の様に操作できるようになるのは、"MS-DOS" ベースにして Windows カーネル自体に GUI の一部が組み込まれたシステム Windows 95 以降ですが、本格的には "DEC" (Digital Equipment Corporation) の OS "VMS" (Virtual Memory System) をベースとして新規に開発された "Windows NT" (Windows New Technology) が登場してから成熟する過程(一九九四年以降)まで待つ必要がありました。
その意味でも IRIX を搭載したシリコングラフィックスのマシンは UNIX(にも拘わらず)画期的なマシンでした。
グラフィックが強いという風評通りに正に先進的なインターフェースに於いてもその先見性を具現化していました。
『ありったけのコイン』:
前述の映画「ジュラシック・パーク」"Jurassic Park" で IRIX 付属の GUI 「フュージョン(ファイルナビゲーター)」"file system navigator; fsn" (pronounced 'fusion') を操作していたのは、勿論「ファイルシステム」"File System" です。
補助記憶装置にオペレーティングシステムによって創られた論理構造が「ファイルシステム」"File System" ですが、シリコングラフィックスが IRIX オペレーティングシステムのために自社開発した高性能ジャーナリング・ファイルシステムが、"XFS" (eXtents File System) です。
"XFS" ではその名前通りに「エクステント」"eXtent" という特殊な実装によりファイルデータ領域を管理しています。このエクステントが可変長で連続したブロックを扱えるのでディスクを効率的に利用できる上に、ブロックの確保や空き領域の高速検索のために「インデクス部」と「データ部」を分けて管理する "B+-tree" 構造を採用することで高速化に寄与しています。
XFS は UNIX で古参の「ジャーナリング・ファイルシステム」(Journaling file system) であるのにも係わらず、ハイエンドマシン向けとして実装されたために特徴的なエクステントに加えて「スパースファイル」"Sparse files"、「遅延アロケーション」"Delayed allocation" 、「オンライン・リサイズ」"Online resizing"、「オンラインデフラグ」"Online defragmentation" など様々な実験的で革新的な実装が施されています。
この拡張可能という特徴を持ったファイルシステムである XFS の有用性を鑑みて、近年になって Linux への移植が以前から水面下で進行していた様子です。
"RHEL" (Red Hat Enterprise Linux) では二〇一七年頃から XFS へと舵を切り始めましたが、遂に XFS が "CentOS" (Community ENTerprise Operating System) の標準ファイルシステムになりました。
『エンジェル・ダスター』:
XFS が登場したのが一九九四年の事ですから、二十五年経過しています。
シリコングラフィックス謹製 IRIX の XFS は二十五周年記念で復活を果たしたとも云えます。
日本のロックンロール・バンドである「ザ・ストリート・スライダーズ」"The Street Sliders" が、二〇一八年にはデビュー三十五周年記念盤としてシングル全曲集 "THE SingleS"(ザ・シングルズ)をリリースしました(前回コラム『第88回 ザ・ストリート・スライダーズ』を併せてご覧くださいませ)。
昨年は三十五周年を記念してハリーと蘭丸が、久しぶりに "JOY-POPS"(村越弘明+土屋公平)を復活させてツアーをしました。
「腰から砕けるロックンロール、かき鳴らそう。」
誠に勝手では御座いますが、今度は四人の「ザ・ストリート・スライダーズ」"The Street Sliders" の復活をそろそろ希望させて頂きます。
ここに注目。
「スライダーズさん江、
俺が迎えに行きますので、
待っていてください。」
次回をお楽しみに。
[IT研修]注目キーワード Python UiPath(RPA) 最新技術動向 Microsoft Azure Docker Kubernetes