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第91回 ジョーカー (藤江一博) 2019年10月

劇場公開は、二〇一九年一〇月四日、金曜日。
映画「ジョーカー」"Joker" は、日米同時公開となりました。
公開された翌々日、一〇月六日の日曜日に映画館に見に行きました。
翌週の土曜日、一〇月一二日は台風がやって来て映画館が休館しました。
翌日、台風一過で雲ひとつない一〇月一三日の日曜日は午後から映画館が開場されました。
お昼になるのが待ちきれず、劇場へと勇んで駆け込んで行きました。

 
 
 

『台風一九号 ハギビス』:

今月はラグビーワールドカップが日本で開催している真っ最中で大いに盛り上がっています。大会のキャッチフレーズは下記になります。

「4年に一度じゃない。 一生に一度だ。 -- ONCE IN A LIFETIME -- 」

まさにキャッチフレーズに連動したかのように、大会中に日本列島に直撃した台風の影響が波及します。多少の荒天でも行うラグビーの試合ですらも例外ではありませんでした。

生まれてこの方一生に一度くらいの騒ぎで台風を警告されたのは、初めてかもしれません。
テレビでは「すぐに非難してください」を連呼しているし、スマフォからは警告メッセージが鳴り止みません。
五十年ぶりにやってくるらしいとても大きな台風だというのです。

大自然が猛威を振う台風が過ぎ去った後には、尊い命が奪われ日本列島各地で甚大な被害を齎しました。辛うじて命までは取られなかった方々も、テレビで報道されているより実態は酷く、河川が氾濫した土地では泥水に家屋が汚染されて使えなくなった被災ゴミの山に埋もれて浄水施設も復旧せず皆さん日々の生活にすら困窮されています。
権力者がグレタさんの言うことをちゃんと聴かないのですから、これから毎年のように大きな台風がそれは頻繁にやってくる事でしょう。

映画館が営業停止して休館になったのも初めてです。
観客が集まらず閑散とした田舎の映画館が潰れて閉館していくのは見たことがあります。
「ニュー・シネマ・パラダイス」"Nuovo Cinema Paradiso" のように、窮状に追い込まれてしまう映画館が地方には少なからずあります。
でも、今回は台風のために計画的に営業しないというのは初めてです。
インターネットでも前売りチケットの販売が停止されていました。

封切りされて公開されたばかりの映画を映画館で二回みたのは、初めての経験です。
劇場で大興奮して感化されまくった「ダークナイト」"The Dark Knight" ですら、劇場を出て鑑賞後の余韻に長く浸りはしましたが、映画館では一回しか見ていません。
二番館、三番館などで過去の映画を劇場で見ることはあっても、ロードショー中に同じ映画を劇場で見たことはないです。
ですが今回だけは先週に見たばかりの映画なのに待ちきれず、二週連続で劇場に駆け込みました。
深夜になっても、朝になってもネットでチケットが販売されないのでヤキモキしましたが、午前中に販売が再開されて午後には一目散に劇場に向かっていたのです。

今週末にも映画館に行って三週連続で三回目を観るかもしれません。
こんなにも惹きつけられてしまうのは、何故なのでしょう。
こんなにも感情を揺さぶられるのは、何があるのでしょう。

 
 
 

『電車は今日も寿司詰め、伸びる線路が拍車をかける』:

台風が過ぎ去って連休が明けた火曜日、近所では何事もなかったかのようです。

いつもの朝の風景。
通勤通学で混雑した電車には鮨詰めにされた乗客。
今朝は周囲の音が乱雑に耳に入ってきます。
出かける時に iPhone 6s を忘れてきたのです。
通勤に同伴する相方の音楽プレイヤーがいない有様です。
音楽無しでは修行が足らず、車中では心頭滅却出来ません。
現し世を暫し離れるための道具「音楽」が無い苦行となりました。

駅に停まる度に雪崩れ込んでくる乗客。
ホームからは「お手荷物を強く引いてください」のアナウンスが繰り返されます。
扉が閉まり電車が走り出すと、電車の走行音に加えて近くのヘッドフォンから漏れ出した音楽が聴こえます。
乗客で鮨詰めの車内では、前に抱えた黒いリュックが「シャリ」で自分が「ネタ」と化した一貫のお鮨となりました。
鉄の寿司桶に閉じ込められて無慈悲に運ばれていきます。
鬱屈した重苦しい空気の中、線路は続くよ、どこまでも。

「床に物置いちゃいけないよ、足を置く場所がないじゃないか。(繰り返す)」

神経質な初老と思しき男の声が背後から跳び込んできました。
電車のドアに押し付けられて窓の外を向いているので、車内に居るはずの男の顔は見えません。
聴こえてきたのは車両中央部、左斜め後方、方角的には西南西だと思います。
方向音痴なので歩いているときの方向は当てにはなりませんが、耳だけは良いです。
声だけが聞こえてきたのですが、視覚的には情報が無く全く不明のまま脳内で画像イメージが膨らみ始めました。

学生さんは校章が入ったナイロン製で紺色の大きな手提げかばん、もしくは、部活の道具が入った赤や黒などのごつい合皮やエナメルのボストンバッグを持ち歩いています。
そんな大きなカバンを床に置かれると鮨詰めに混雑した車内では市の踏み場が無いので力が入らず身体を支えられなくなって倒れそうになったことが何度もあります。
勝手な憶測の映像ですが、同様の事象に遭遇した初老のサラリーマンは未熟で不躾な学生さんに注意したのだと思います。

 
 
 

『以心電信と自助運動』:

初老の男と思しき人が選択した言葉のフレーズ自体はそんなに悪くないのですが、発せられた声から苛立ちが読み取れます。
年長者が若造に向けて上から叱責とも受け取れるような発言に聴こえてきました。
そのフレーズを二回繰り返したのですが、相手の学生さんがその注意勧告を聴いているように見えなかったからかもしれません。
二回目はフレーズにアレンジが加えられた上に語気が少し荒くなっていました。

大団円を迎えるためには、選択されたフレーズから連想しますと「寅さん(渥美清)」風に諭せば、「満男(吉岡秀隆)」のように「はぁ。」と頭を掻きながら恐縮して理解を得る結果になりそうなのですが、わざわざ時間を割いて発した示唆さえも相手からは好意的な同意を得られるまでには至らなかったと思えます。

伝わりそうで伝わらない原因は、折角の示唆が学生さんを思いやっての指導ではなく、初老の男の不満が突き付けられたものだったという意図が見え隠れするのが、声から感じられたことかもしれません。
また、どのように伝わるのかは相手次第なのですが、見知らぬ大人から注意された学生さんは困惑したのかもしれません。
世間を知らず未熟な上に尊大なのが若者なのですし、昭和が過ぎ去り平成を経て令和の現在、人との関わりが希薄な雰囲気になってしまい、そんな状況にあまり慣れていないでしょう。

話し手が話す内容も大事ですが、話すトーンも大事です。それに聴き手側からすると誰から話を聞いているのかが大事なのだと思います。
憧れの人、尊敬する人、好きな人、親しい人からの話は、誰しもがちゃんと話を聴くのでしょうから。

幾つになっても忘れてはいけないことは、素直さと謙虚さが尊いことです。

 
 
 

『泣いてたまるか』:

渥美清が演じる「フーテンの寅」こと「車寅次郎」が主人公の「男はつらいよ」は、映画化される前にテレビドラマで放送していました。

「男はつらいよ」がテレビドラマになったのは、それ以前に渥美清が出演していた一話完結のテレビドラマ「泣いてたまるか」の最終回「男はつらい」から派生したスピンアウト作品です。この最終回の脚本は山田洋次と稲垣俊です。

「泣いてたまるか」の第八十話「男はつらい」で渥美清が演じる役所は、トラック野郎の主人公「千葉源吉」こと「源さん」です。トラックに同乗する若い助手「ミノル」は前田吟。最終回で共演しています。

大粒の雨が降る土砂降りの中、「源さん」と「ミノル」の二人がトラックを走らせている場面からドラマが始まります。
その道中でヒッチハイクした家出娘「弘子」が乱暴されそうになるのを、渥美清が雨の降りしきる街道沿いで家出娘を助けることから物語が回転を始めます。

最終話「男はつらい」でヒロイン「弘子」を務める「川口恵子」は、ウルトラセブンの第三十八話「勇気ある戦い」でアンヌ隊員の友人で出演していました。
「川口恵子」演じる「弘子」が、愛らしい笑顔で「源さん」や「コック」(小坂一也)など登場人物の男性を惹きつけるというストーリーです。
その後の顛末は予想通りで、「男はつれえやぁ。」というセリフとペーソス溢れるエンディングを迎えます。

惚れっぽい主人公「源さん」は「寅さん」そのものです。

 
 
 

『男はつらいよ おかえり、寅さん』:

「泣いてたまるか」の最終回は一九六八年で、その半年後にテレビ版「男はつらいよ」は、同じ一九六八年から放送開始されました。
このテレビ版「男はつらいよ」ですが、最終回で寅さんがぽっくり死んでしまうという結末が物議を醸し出し視聴者の後押しで復活したのが映画版「男はつらいよ」で一九六九年公開です。映画版「男はつらいよ」第一作の公開から二〇一九年で五十周年になります。

先日、ロードショー中の「ジョーカー」を鑑賞するために駆け付けた映画館で、上映前に流れていた予告編を観て山田洋次監督の第五十作目「男はつらいよ」が、五十周年記念の最新作となって「寅さん」が復活することを知りました。
「純くん」こと吉岡秀隆も「満男」役で登場するそうです。「満男」は、寅さんの妹「さくら」(倍賞千恵子)の息子です。マドンナの一人には「後藤久美子」も出演するみたいです。
その渥美清やフランキー堺は、本当に頭の回転が速くて掛け合いのやりとりがリズムに溢れて気持ちが伝わりその流暢さに驚きます。台詞の饒舌さにただただ感嘆するだけです。
まさに「舌を巻く」という形容がぴったりなほど素晴らしい口上を銀幕で魅せてくれます。

昭和が過ぎ去り平成を経て令和の現在ですが、愛嬌が溢れて憎めない機知に富んで人情味あふれた人柄「フーテンの寅さん」そのものが普遍的に求められている象徴であるからこそ時代を跨いで復活できるのでしょう。皆に愛されているのだと思います。

昭和生まれの自分ですが、貧しくガサツな時代としての昭和が嫌いですし、浮かれて虚飾だらけな時代の平成も好きじゃないです。令和はそうではないことを願います。
寅さんのように小気味の良い口上があれば、澱んだ偽善を払拭して真っ直ぐで素直な時代の空気をつくれるかもしれません。

 
 
 

『ホアキン・フェニックス』:

二〇一九年一〇月四日、映画「ジョーカー」"Joker" 日米同時公開されましたが、公開されてから毎週、映画館に行っています。
ロードショーを二回映画館で鑑賞すること自体が初めての経験でしたが、予想に違わずと言いましょうか、一〇月一九日土曜日、遂に劇場で三回目を観てきました。
三回目を観た際には、最初の三十秒で思わず泣いてしまいました。
そしてラスト直前のボンネットでタコ踊りするシーンでも泣きました。

主演である「ジョーカー」"Joker" を演じるのは「ホアキン・フェニックス」"Joaquin Phoenix" です。役者で早世した「リヴァー・フェニックス」"River Phoenix" の弟です。

そんな枕詞が不要になるほどに、本作での「アーサー・フレック」"Arthur Fleck" 役、つまり 「ジョーカー」"Joker" となる存在感を喩えるならば、「2001年宇宙の旅」で各辺が 1:4:9 という初めの自然数の二乗という比率をした巨大な人工物体「モノリス」"monolith" が光を反射して黒光りした輝きを放って目の前に立っているようなものです。唯一無二の存在感です。

アーサーが長い階段を一段ずつ暗い光を吸収する底知れぬ暗い闇へと降りていく様子、或いは、騙し絵のように視点を反転させれば、緊縛された現実から解放されるため夕焼けのオレンジ色を背中に浴びながら踊るように階段を駆け上がって登りつめていく様を身体全体で露わに表現してくれます。
これからキャリアをさらに積んでいくであろう「ホアキン・フェニックス」"Joaquin Phoenix" の代表作となることは、ほぼ間違いないでしょう。

脚本や配役、監督も揃ったからの作品であることは間違いないのですが、ホアキン演じる「アーサー」の芝居がそれらを脇に追いやり、すべてが現実の世界と見紛うかの如く既視感に苛まれてスクリーンに吸い込まれてしまうのです。
スクリーンだけを見つめていると、アーサーの内面が浮き彫りにされるかの如く、ほとんどが舞台劇の独り芝居を観ている様な感覚に陥ります。

否、一人芝居を観ているのではなくて鑑賞している自分が「アーサー・フレック」"Arthur Fleck" その人になります。
登場人物になるという現象は、転化や投影であるかもしれません。
寧ろ、正確に心象表現すれば憑依している状態と云えましょう。
銀幕に映し出されているのは、観ている自分自身です。
鑑賞者による強い感情移入の所為かもしれません。
誰が観ているとしても、多かれ少なかれ「アーサー・フレック」"Arthur Fleck" は、自分と重なる筈です。

 
 
 

『ヒース・レジャー』:

監督「クリストファー・ノーラン」"Christopher Nolan" が手掛けたバットマン・シリーズ第二弾、ダークナイト三部作の第二弾「ダークナイト」"The Dark Knight" で完璧なジョーカーを演じたのは、「ヒース・レジャー」"Heath Ledger" でした。

「ジョーカー」"Joker" といえば「ヒース・レジャー」"Heath Ledger" こそが、デファクト・スタンダードだと刷り込みされるのが当然に思えるほど、この役柄にのめりこんだ有様をこの映画で体現しており観客である我々に魅せつけてくれます。

ヒース・レジャーはマスクも端正ですので「二枚目さん」という位置づけだったように見られますが、色んな作品に出演していてその演技は確かなものです。ヒースの過去作品を探り当てて見比べたりしましたが、その真摯な演技に対する姿勢は本物で間違いないです。大好きな役者さんです。

多数あるヒース出演作の中でも特に演技が評価された「ブロークバック・マウンテン」"Brokeback Mountain" では、「アン・ハサウェイ」" Anne Hathaway" と共演しています。
この「ブロークバック・マウンテン」でヒースの人気と演技の両方で不動のものを手に入れたといえるでしょう。

アンは後に三作目「ダークナイト ライジング」"The Dark Knight Rises" で「セリーナ・カイル」"Selina Kyle" こと「キャットウーマン」"Catwoman" に扮するのでこれも何かの縁かもしれません。

「ダークナイト」"The Dark Knight" では、主人公「ブルース・ウェイン」 "Bruce Wayne" が変装する「バットマン」"Batman" を「クリスチャン・ベール」"Christian Bale" が演じています。
「クリスチャン・ベール」が演技に対してストイックに向き合う姿そのままを役柄として表面化させた「バットマン」に呼応するかの如く、「ヒース・レジャー」演じる「ジョーカー」は、「二度漬け禁止」と書いてある張り紙の傍で「ジョーカー」をタレに二度漬けしたように真っ黒に完璧で純粋なヴィランと化しています。

クリスチャン・ベールと対峙するヒース・レジャーは、対等な存在として瓜二つ、或いは、一卵性双生児のようにどちらが欠けても存在し得ないような間柄、鏡で写したかのようにバットマンとジョーカーとして銀幕の中でやり取りを繰り広げます。
警察に取調室でバットマンに尋問されるシーンでのジョーカー台詞です。

「俺はお前を殺したくなんかない。
 お前がいなくなったら俺はどうすればいい?
 お前が、おれを完璧なものにするんだ」

「ジョーカー」の台詞ですがヒース・レジャー自身が、まるでクリスチャン・ベールに放っているようにも思えます。
バットマンとジョーカーは、補完し合う二つの個体、寄生と依存の双方に因る共依存、もしくは、同位体とも言える奇妙な関係を醸し出します。
ジョーカーにとってバットマンは、ただ一人の話し相手だということでしょう。

鮮烈なまでに二次元の絵だった「ジョーカー」"Joker" を、紛うことなき決定版として強烈にスクリーンで三次元化してくれました。
ヒースが真摯に演じた結果です。
そうして役にのめり込み過ぎた所為かもしれません。
「ダークナイト」公開前にヒースは薬物の急性中毒で急逝していまいました。
まだ二十八歳という若さでの突然の死。
宝石とも云える惜しい役者を我々は失ってしまいました。

 
 
 

『Dr.パルナサスの鏡』:

ヒースが居なくなった後に公開された彼の主演映画があります。
「Dr.パルナサスの鏡」"The Imaginarium of Doctor Parnassus" です。

「モンティ・パイソン」"Monty Python" のメンバー「テリー・ギリアム」"Terry Gilliam" が監督する作品に出演している最中だったらしいです。

「Dr.パルナサスの鏡」"The Imaginarium of Doctor Parnassus" では、撮影途中だったために代役として彼の親友だった「ジョニー・デップ」"Johnny Depp"、「ジュード・ロウ」"Jude Law"、「コリン・ファレル」"Colin Farrell" がヒースを補完すべく友情出演しています。
勿論、生前にヒースが出演していたフィルムが加わってスクリーンに登場しています。
本作がヒースの遺作となりました。

鏡の向こうの別世界に行ったら顔も変わるという設定で、オムニバス形式で物語が進むという映画です。

たぶん映画を完成させるために、ストーリーも大幅に書き直しているとは思います。
まるで、渥美清が病気の後遺症で連続出演が難しいので青島幸男や中村嘉津雄が交互に主演を務めた上に、毎回コンセプトも変わる「泣いてたまるか」スタイルと同じです。

ヒース・レジャーの遺作となった「Dr.パルナサスの鏡」を劇場で鑑賞した時は、物語と関係なく何故がしみじみとしました。

 
 
 

『ヘルムズ薬局』:

「ホアキン・フェニックス」"Joaquin Phoenix" 版、映画「ジョーカー」"Joker" の序盤のシーンですが、アーサーはカウンセリングを受けた後に処方された筈の向精神薬を薬局で受け取ります。
三度目の視聴で気が付いたのですが、そのシーンで薬局の看板が映し出されていました。
看板には「ヘルムズ薬局」"Helms Pharmacy" と書かれていました。

浅はかな考えで勘違いかもしれませんが、「ヘルムズ」"Helms" は 「ヘルズ」"Hells" の一歩手間、つまり「地獄のような苦しみ」を味わっているということを薬局の店名にして看板の文字としてスクリーンにしているのかもしれません。歌詞を画面に映し出すミュージック・ビデオ、謂わば「リリック・ビデオ」"Lyric video" の手法です。

そうではなくて、「トッド・フィリップス」"Todd Phillips" が監督した大ヒット映画「ハングオーバー!」"The Hangover" に歯医者役で出演していた「エド・ヘルムズ」"Ed Helms" から由来しているネーミングなのかもしれません。

また「ヘルムズ薬局」"Helms Pharmacy" という架空のお店の名前は、「ヘルズ・キッチン」"Hell's Kitchen" 想起されるもので舞台は「ニューヨーク」"Now York City" 、そして「アメリカ大陸でもっとも危険な地域」というフレーズが憑いてきます。

どれも単なる深読みなのかもしれませんが、序盤で既にアーサーの窮状を音もなく静かに文字で謳っているかに感じました。
物語はアーサーという独りの人間の人生を描いていきます。

孤独に苛まれた可哀そうな人の物語。
虐待を受けた子供が身体に深刻な後遺症を残します。
虐待を受けた肉体の傷も曳しゃがれた背中に刻印されて残っています。
後遺症のために、他人から奇異な目で見られ蔑まれます。
謂れのない叱責やいじめに傷つきます。
相談する相手も自制のための薬も取り上げられます。
仕事仲間が保身のために嘘をつくことで職を失います。
そして出生の秘密が明らかになります。

それが「ジョーカー」"Joker" の顛末です。

ラストシーンの直前では、壊れたパトカーから傷ついたジョーカーをピエロの仮面を被った二人で壊れた後部座席の窓からそっと運び出して、うやうやしく車のボンネットに仰向けに横たえるシーンがあります。
まさにシンボルとして昇華したのを象徴するシーンです。

このシーンを中世ルネサンス期から長年続いている絵画のモチーフとして描かれて続けた「十字架降架」と同じ美しい構図で銀幕に描かれていると評する方もいらっしゃいました。

「十字架降架」に準えるならば、虫の息だったジョーカーはフロントグラスが粉々に飛び散ったボンネットの上で咳込んで血痰を吐きながら息を吹き返し、イエスの如く復活します。

これからご覧に為られる方々もいらっしゃるでしょうから、本編は映画館で圧倒的な映像を観てください。
どのように映るかのすべては、鑑賞者ご自身の「主観」に委ねることになりましょう。

 
 
 

『話しを聴いてくれる相手』:

「アーサー・フレック」"Arthur Fleck" は、
「誰も話を聞いてくれない」と嘆きます。
「誰も優しくしてくれない」と絶望します。

前にも書きましたが、誰と仕事をするのかが大事なことだと考えています。
困ったときは、なんでも話せる仲間がいることが唯一の救済です。
そして、何よりも身近にいつも居てくれる家族がいるのが最高の幸せです。

もし悩みを抱え込んでいたら、誰でもいいので話せる相手を探してください。
どこかに、きっと、あなたの話を聴いてくれる人がいる筈です。

話を聞いて欲しいというなら、少しの時間を分けてください。
話を聞いて悩み事を解決したりする必要はありません。
ただ、相手の顔を正視して話す言葉を聴いてください。

お話するだけで、それを聴いてあげるだけで、それだけで救われます。

 
 
 

次回をお楽しみに。

 


 

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