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おんぼろのサニークーペ。
どこまでも走れ、
あの娘のいる街を通り過ぎて、
あの雲を突き抜けて、
あの鈍色に光る月の彼方まで。
『リメインダーズ・オブ・クローバー・サクセション』:
「栗原清志」(本名)が言い張る「忌野清志郎」(いまわのきよしろう)という名前(芸名)は不思議です。
実際に「忌野」という苗字はたぶん聞いた事がないのですが、どうやら日本人にはそんな苗字の方はいないらしいです。
そんな実在しない苗字は「己」の「心」と書いて「忌(いまわしい)」を意味して「忌野」と名乗っているのです。「海援隊」の「武田鉄矢」の様な解説ですが、清志郎のマネージャだった「片岡たまき」が上梓された本「あの頃、忌野清志郎と ボスと私の40年」に書かれていました。
「忌野清志郎」が在籍した「RCサクセション」"RC SUCCESSION" というバンド名も不思議な名前ですが、清志郎達が中学生の時に結成した最初のバンド名が「クローバー」"The Clover"で、そのバンドを再結成した際に「クローバーの残党」"The Remainders of the Clover" になった後、再々結成した「クローバーの残党の継続」"The Remainders of the Clover Succession" に継続したので結成と解散を繰り返す結果で「RCサクセション」となりました。
清志郎自身がインタビューでは冗談で適当に作り話をしたので由来に諸説ありますが、時の流れにまかせた小舟に乗るだけという態度を取った変遷によるネーミングは清志郎らしいので多分これが妥当なのでしょう。
初期のRCサクセションは三人組でメンバーは、ベースの「小林和生 (リンコ) 」とギターの「破廉ケンチ」に「忌野清志郎」という構成です。この三人組に一時期ですが日野高校の同級生「三浦友和」がパーカッションでメンバーに加わったりしています。
『初期のRCサクセション』:
「RCサクセション」"RC SUCCESSION" のファーストアルバムは「初期のRCサクセション」(1972年リリース) という変な名前です。
もしそのことを知らなければ、あの「RCサクセション」が後年になってリリースされたリマスター編集版の黎明期ベストアルバムなのか?と勘違いしそうなタイトルです。千里眼で未来を覗いて来たかのようなネーミングのテイストにすら忌野清志郎が溢れているような気がします。
高校を出たばかりの彼らがデビューに漕ぎ着けたのは、東芝主催のコンテストで入賞(三位)になったのがはじまりでEPレコード「宝くじは買わない」(1970年リリース) でデビューを果たします。そしてコンサートに出演を続けるうちに最初のLPレコードが「初期のRCサクセション」がリリースされてシングルカットされた「ぼくの好きな先生」はスマッシュヒットになります。
初期のRCサクセションは、アコギ(アコースティックギター)、ウッドベース(コントラバス)にボーカルという変則のスリーピース(三人組)の編成で彼らが奏でる楽曲は、フォークロックというかハードフォークといった風味ですが、これまた型に嵌めることが出来ない変わったバンドであろう印象を持ちます。
アコースティック楽器を使っての演奏でペーソス溢れる楽曲もあったりするのですが、突如しゃがれて叫ぶような清志郎の独特のがなり声が希求のメッセージをリスナーに電波する強烈な印象で魅了されます。ロックの真髄です。
初期のRCサクセションが忌野清志郎が大好きです。
そんな独特の風味をもった型破りさが災いしてなのか、当時は一部を除いて世間には広くは受け入れられず、ぱっとしない日々が続きました。しかも所属事務所のゴタゴタに巻き込まれて仕事を貰えず干されてしまって、売れないバンドマンというアングラ(アンダーグラウンド、地下に潜った)な不遇の時期を長く過ごすことになります。
RCサクセションの「暗黒時代(仮称)」の第一期(「楽しい夕に」LP 発表後)と第二期(「シングル・マン」録音後)がこの頃でした。
忌野清志郎曰く、この長く続く不遇な境遇で収入もなく自堕落に何もしない世捨て人でヒモみたいな生活「暗黒時代」があったから現在の自分あるのだと言っていました。「暗黒時代」と名付けた渋谷陽一が対談相手での一部始終が「ロッキング・オン」(雑誌) (1987年インタビュー記事) に掲載されていました。
一緒に過ごした人との時間、聴こえてくる音や眺めている風景、ボーッとする間に夢想したこと、貪り読んだ書物、そんなインプットがあったからこそ、その後の自分を創り上げていくことが出来たのだと想像します。
そのことは良く理解できるような気がするからです。
『三番目に大事なもの』:
講師としての登壇業務がワンオペ作業となってしまう仕事柄なので、孤立感を抱いて寂しくなったら同僚を誘って会食をします。
数ヶ月前のことになりますが事前にお誘いをしていて、各々登壇業務後のお片づけと掃除を急いで終えて仲間の三人組で会食した際に「漫画夜話」になりました。
宴席を設けたのは何かの問題や特にじっくり話したい主題があった訳じゃなくて、だらだらと只々くだらない話ばかりしていたのですが共通話題の流れで好きな漫画について各々が主張し出したのです。
「ジャニス」"Janis" の面子(過去記事『第81回 僕は問題ありません』を併せてご覧ください)となれば「音楽談義」になるのですが、その際に集った面子では「漫画夜話」の流れになりました。
そこで不覚にも火がついてこれだけ熱く語れるなら対決しようと思い付いたので、電車の時間を気にしながらご馳走さまでしたとお店を出ましてから、ほろ酔いで興奮冷めやら無いままに駅までの短い帰路の途中で即興企画会議を打診して、次回開催はカードバトル形式(よく知らないですが)を真似て各自がお薦めの漫画を持ち寄ってどれが良いのか白黒付けるべく対決することにしました。
今度は三人が厳選して持ち寄った漫画本を一人ずつ出し合いその魅力を熱く語って投票するのです。
投票は他の二人が出したカード(漫画本)のどちらかに投票します。
対決の場であるデッキは三回戦。
投票方式は誰が誰に票を投じたのかが見えない目安箱に一回戦ごとに投票します。
玉入れと同じく最後に開票しトータルスコアで勝敗を決めます。
三回戦するのですが、手持ちの投票用紙は四枚渡しておきます。
三回の内で何れかの回に、「これは参った」という漫画カードを出した相手には、一度に二枚を投票するのです。「敵に塩を送る」制度を設けたのです。
これで先鋒、中堅、大将のどこに切り札の漫画を持ってくるかも重要度を増す筈です。
そこでもう一つ、制約(縛り)を入れました。
「ブックオフ」"BOOKOFF" で探して購入して持ち寄るのが制約です。
実は「オフ会」のフレーズを会合の名前に入れたかっただけの理由でお店は「ブックオフ」に限定しました(後述します)。
ネットでの購入は不可、路面店で購入しレシート持参です。
レシート持参は、購入価格は関係なくエビデンス(証拠)であり、得票数が同じになった場合には、寧ろ安く手に入れた方に審議点を追加する目論見です。
各自おススメの漫画がブックオフに売っているかが、勝負に直接的に関わってきます。
或いは、お店で探すことで全然視界に無かったジャンルの漫画との新たな出逢いも期待しています。勿論、試合相手がデッキに置く見たことがないカード(漫画)は、知識開拓への布石となりましょう。
その一方で、当人の思い入れ(漫画との出逢いを語る個人の経験談)が長くなると共感を得られないという落とし穴に陥りマイナス要素が影響して思う様に得票が伸びない憂き目(うきめ)に遭うかもしれません
果たしてこの企画は盛り上がるのかはわかりませんが、三人組として次回お誘いする口実にはなりました。
『夜の散歩をしないかね』:
思いつきの発案からかなり経った先月末にやっと会合が実現しました。
会合タイトルは荘厳に、「(BS漫画夜話企画会議経由)東方の三賢者 "ブク" オフ版 第一回カードバトル大会」という「シュー」(烏合の衆)の寄合(よりあい)としました。
当日は登壇後に講師から転身した選手となって事前に用意した漫画本を持ち寄って会場へと向かいました。選手の一人の「カルロストシキ(仮名)」は、大会開始直前に足りないカードを調達するのにブックオフへ行きますと捨て台詞を残して足早に出かけていきましたので心配しましたが、定刻通り会場に面子が揃いなんとか無事開催に漕ぎ着けました。
試合の様相(会合の様子)は、ご興味ないと思いますが少しだけ(反響あればもちろん無いと思いますけど)。
楽しい時間はすぐに経ちます。
二回戦までで白熱し過ぎたため時間が足りずお店を出て二軒目を探そうとしたのですが、適当なお店が見つからず終電時間が迫ってきます。そこで駅近くにあったファミレスに跳び込んで三回戦となりました。煌々と眩しく光る店内の照明で少し興ざめするかなと思いきや、はっきりと字が見えてとても良いです。デザートのパフェを頂きながら最終決戦を迎えて盛り上がりました。
結果ですが、目安箱や投票用紙など準備にも奔走した言い出しっぺ(筆者)が圧勝を遂げました。勝利の褒美を決めていなかったのですが、名誉だけで充分なのですがプレデターの如く持ち寄った漫画を総取りとすることになりました。仕方なく二人の漫画を拝領させていただきました。
余韻も冷めやらないままに帰路に就くと勝ち得たのは、左肩の痛みであることに気が付きました。あまりに漫画が重過ぎてリュックが肩に食い込んで胸を圧迫したので気持ち悪くなってしまいました。
終電の混んだ電車の車中で勝利の美酒ならぬ勝利得たことの代償に耐え忍ぶことになりました。メフィストフィレスと契約したつもりではなかった筈なのですが、こんな目にいつも合ってしまいます。
おまけに翌日になると左の二の腕に激痛走り肩が上がりません。
横になっても痛みが治まりません。何日も腕が上がらない日々が続きます。
RCサクセションのブートレグでついたタイトルのように「悲しいことばっかり」です。
『スローバラード』:
三人組の面子は、「カルロストシキ(仮名)」ともう一人が「伊達直人(仮名)」です。
その直人がおススメした漫画本は第一回大会優勝者(筆者)に献上されたのですが、差し出された三冊の中でお持ち帰りを選んだのが「松本大洋」の「Sunny」(サニー)の第一巻でした。散会の時「是非、読んでください」と彼の強いレコメンドがあったからです。
タイトルの「Sunny」は、舞台となる児童養護施設「星の子学園」の庭の隅に放置されている廃車「サニー 1200」がモチーフになっています。
このポンコツサニーに子供たちが乗り込んで、辛い現実から逃避するのに夢想したり、他には理解されず誰にも話せない相談事をしたり、仲間でつまらない戯言と言い合う、そういった大切な場所になっています。
一人ひとり家庭に事情を抱える子供達は「悲しいことばっかり」です。
子供達は「サニー」"Sunny" に乗り込んで夢の中で翼を広げているのです。
第二巻の表紙で「大洋ホエールズ」の野球帽を被っているのは「山下静」という無口な少年です。
松本大洋自身が小学校の時分に養護施設で過ごした経験があり、登場人物は実在のモデルが存在していることで自分を投影している自叙伝的な物語になっています。
まるで、身近で起きた出来事を歌詞にする清志郎の唄みたいに思えました。
『黄色いお月様』:
栗原清志は伯父夫婦に引き取られて育てられました。実の母親とは幼少の頃に死別していたのです。清志が三歳の時です。
清志郎は初期のRCサクセションの楽曲で「ぼくとあの娘」の歌詞として自分を「みなしご」と称して物語っています。
もう一曲の「黄色いお月様」では逢ったことがない、否、幼すぎて顔を覚えてすらいない亡き実母のこと、そして自分の母親に対する感情を詠っています。
これは清志郎自身が曲を作り声に出して唄うことで再び母と繋がりを持つことが出来ると無意識に感じていたからなのだと想います。
清志は「星の子学園」の子供達と同じ様な境遇だったのかもしれません。
ですが、清志には話せる同じ境遇の友達は居なかったかもしれませんし、廃車となって捨て置かれたサニーも傍に無かったことでしょう、たぶん。
その鬱屈とした感情は、いったいどこで掃き出していたのでしょうか。
『帰れない二人』:
売れない時代の忌野清志郎は、おんぼろのサニークーペを愛車にしていたそうです。
中古車で一番安かったからというのが理由らしいですが、ポンコツのサニークーペはドアが開かず、清志郎は窓から乗り降りする始末です。
そうして大事に愛用していたサニークーペを乗り潰して廃車になると、また中古で手に入れてサニークーペに乗り換えて潰れて。引っ越ししてもまた中古のサニークーペ購入を繰り返したそうです。清志郎は、どうやら一度気に入るとしつこいみたいです。
前述の暗黒時代が長く続いていたので、中古のサニークーペを入手する資金源はどうしたのだろうと思うと、どうやら印税の残り(五万円)で購入したらしいです。
「井上陽水」の大ヒットレコードに「氷の世界」があります。アルバムの収録曲に「帰れない二人」と「待ちぼうけ」は、井上陽水のアパートで陽水と清志郎が共作した楽曲でその印税が資金源となりました。
清志郎は印税が臨時収入となってバンドが使用する楽器などの機材費に(遊ぶ金かもしれませんが)使い果たして、残った五万円で中古のサニークーペを購入したらしいです。
第二期の暗黒時代に突入した原因には同じ事務所だった井上陽水の独立問題が引き金になって同じマネージャに可愛がられていて契約が残っていたRCサクセションが所属事務所に干されて録音したレコードも発売できずに塩漬けされるという辛酸を嘗めることになります。
陽水からの贈り物(印税)は、迷惑かけてすまないという謝罪の意だったのかもしれません。
『金もうけのために生れたんじゃないぜ』:
当時、結婚を申し込んだ清志郎は、世間(彼女の親父さん)に認められず甲斐性も無い。このままではイカンと感じイメージチェンジを画策してエレキ化を図ると「破廉ケンチ」が離脱(解雇)して「古井戸」(バンド名です)の「仲井戸麗市」(チャボ)を清志郎が口説き落としてチャボが合流したRCサクセションに化学変化が起こります。
八十年代に入るとすぐチャボとの共作「雨あがりの夜空に」(1980年1月リリース) を切掛けに世間に受け入れ始め装いを新たにした RCサクセションは立て続けにヒットを飛ばすことになります。新装開店したRCサクセションがヒット曲を連発するのに追い打ちをかけるように最終兵器としてのコラボレーション、忌野清志郎と坂本龍一の「い・け・な・い ルージュマジック」(1982年2月リリース) が大ヒットして完全に時代の寵児に上り詰めました(過去記事『第80回 ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』も併せてご覧ください)。
大ヒットを飛ばしてうって変わって困窮するくらいに忙しくなっても、どうやらすぐには懐には入らず、おんぼろアパートで銭湯通いを続けていたそうです。その頃「ボスしけてるぜ」(1980年5月リリース)と歌っていたのですから、清志郎の愛車はポンコツのサニークーペのままだったと思います。
『雨あがりの夜空に』:
忌野清志郎が活路を見出すキッカケになった「雨あがりの夜空に」の歌詞は、印税の五万円で買った愛車ポンコツのサニークーペがモチーフになっています。
五万円サニークーペを路上駐車していたので、雨に濡れて動かなくなってしまったのです。
「たのむよー。」とエンジンが掛からなくなったポンコツのサニークーペをガソリンスタンドに押している清志郎の姿が、「雨あがりの夜空に」を聴くたびに目の前に見えて来そうです。今日も清志郎の歌声を聴いて元気をもらうことにしました。
誰も居ないオフィスで窓を叩きつける強い雨が降っていたのですが、夕刻から小雨になって止みそうです。
天気予報が云うには、明日は珍しく全国的に秋晴れだそうです。
この駄文がまだ書き上がっていませんが、夜の帳が下りたのでそろそろ家路に着こうかと思います。
帰る途中で雨もあがって夜空が見られることでしょう、きっと。
ジンライムのようなお月様が出ているかもしれません。
「悪い予感のかけらもないさ。」
次回をお楽しみに。
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