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「虹」という漢字を善く善く眺めてみると「虫」偏に不思議な違和感を見て取れるのですが、「虫」には「蛇」の意味があるそうでして「蛇が空を貫く(工)」で「虹」という漢字になります。由来は中国では天空に住む大蛇(龍)が虹の正体だと考えられていたからなのだそうです。ギリシア神話では伝令の女神イリス (Iris) が虹の正体だとされています。
「時は奏でて想いはあふれる」
前回記事(「第53回 我時想う愛」)にて描かせて頂いたご夫婦なのですが、年の瀬も押し迫った大晦日前日(十二月三十日)に近所の大型スーパーマーケットでその奥さんに偶然にもお見かけすることになりました。車椅子に横たわる彼女と一緒に居たのは娘さんと思しき二十歳前後のお嬢さんと彼女のお母さんと思われる年配の女性の三人で、祖母、母、娘の三人でお正月の準備で買い物に来ていらっしゃる御様子と察せられました。
彼女たちは買い物客で混雑する店内で商品棚の脇に車椅子を寄せて、娘さんが一生懸命に小さいホワイトボードに「お母さんが買い物している」と書いて彼女に見せている様子が遠目に垣間見えます。周囲が騒がしいためなのか、恰も(あたかも)海の中で筆談しているかの様相を呈していました。
ホワイトボードを横目で睨む奥さんの車椅子には酸素ボンベと人工呼吸器が備えられており、透明な蛇腹のプラスチック管につながった透明なマスクを顔に装着して呼吸を補助しておられました。涙が乾く間も無くほんの少し経っただけで病魔がこれ程までに進行していることを驚かずにいられません。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病名の難病に苦しんでいらっしゃる方は大勢いるようです。
ジェイソン・ベッカー (Jason Becker)という米国人の天才ギタリストもこの難病と闘っています。
ジェイソンは日本でお馴染みのマーティ・フリードマン (Martin Friedman)と出逢ったのが切掛けとなり「カコフォニー」"Cacophony"というツインギターが売りのバンドにて十七歳の若さでデビューしました。その二人の凄腕ギタリストが出逢って化学反応を起こした超絶技巧ギター・アルバム二枚が発表されました。その後はヴァン・ヘイレン (Van Halen) のデイヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth)のバンドに参加する事になっており、まだ二十歳だった若きジェイソンは稀有なギタリストとして将来が嘱望されていたにも拘らず、レコーディング中に手足の脱力感を訴えALSを発病してしまいます。
誰よりも流麗にギター・フレットを踊る様に運指することで奏でたクラシカルな美しい音色を発することが次第に思うように出来なくなっていくその絶望感は他の誰よりも彼自身が苦しんだのだろうと想像します。その後も症状の悪化は進んで会話も不自由となり、仕舞いには眼球の動きだけでコミュニケーションを取るようにまで不自由になっています。ですが、現在も闘病中のこの天才ギタリストは四十六歳になりましたが、いつもプラス思考で至って明るく暗黒面の影すら感じさせないのです。彼の素晴らしい人柄と同時に人間としての希望が振り撒かれています。
彼のドキュメンタリー映画『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet~不死身の天才ギタリスト~』が2012年に英米合作で制作されており、昨年の2015年には日本でロードショー公開されました。機会があれば是非ご覧くださいませ。
一昨年の2014年に「アイス・バケツ・チャレンジ」"Ice Bucket Challenge" がブームとなったのを覚えておられるでしょうか?世界中の著名人、有名人などがバケツに入った氷水を頭からかぶるという動画がブームとして蔓延したものですが、その趣旨をご存じない方も多いと思います。この「アイス・バケツ・チャレンジ」は、ALSという病気を理解して貰うことを目的として行われていた運動であり、慈善運動を活性化させるための認知度を高めて治療のための寄付金を増やすのが趣旨だったのです。一種のパフォーマンスとして氷水を被るというその馬鹿げた行為自体には怪我などの危険性を含めて賛否もありますが、苦しんでいる方々の一助になればという想いやその意気込みを行動に移した人たちは称賛に価するでしょう。彼らは紛れもなく行動したのです。
「見るまえに跳べ」というフレーズが仕舞っていた引き出しから呼び起こされます。
「見るまえに跳べ」は大江健三郎が二十三歳の時に上梓した短編小説です。このフレーズを聴くと、頭でっかちになってやらない御託(ごたく)を並べるくらいなら、何も考えず跳び込んだ方が良いのだ、と怒られている感覚が筆者には何故か刷り込まれています。
それは小説の主人公である「ぼく」は結局最後まで一度も跳ぼうとはしないのです。「これからも決して跳ぶことはないだろう」と独白までしています。傍観したことでの後悔を反芻するだけの「ぼく」にならないようにと自らを戒めなければいけません。
「全ては真実と共にある」
ここで融合(フュージョン)の可能性を述べたいのです。動物や昆虫の具有する生態や優れた運動機能を真似ることで技術が進化していますが、今では菌や細胞レベルに至るまでその機能を真似ることで技術の進化を果たそうとしています。
生命の誕生から気の遠くなる程の年月を経て連綿と続く取捨選択を繰り返し切磋琢磨してきた生物進化の結果として磨き上げられた機能を、人がその恩恵に預かろうとして機能を写し取るという作業は単なる表層的な外観の擬態に留まらず、他の生物と共生することでその機能を享受するという試みや、更なる深淵を模索し始め細分化を行い神髄に触れることでの新たなステージに入ろうとしているのだと見受けられます。
その一端として、数千頭の蚕(かいこ)を擁して絹の建築を行う実験や人工の蜘蛛(くも)糸繊維を量産する開発が最近のニュースになっていました。中でも非常に感銘受けたのはネリ・オックスマン (Neri Oxman) 教授が微生物を擁した光合成を行うスーツを創るというもので、人間が持ち得て無い自然界の機能を取り込こうという試みを知りました。
想起されるのは、大好きな映画の一つであるデヴィッド・リンチ (David Lynch)監督のS.F.映画「デューン/砂の惑星」"Dune" で登場人物であるマックス・フォン・シドー (Max von Sydow) やカイル・マクラクラン(Kyle MacLachlan) 等が砂の惑星で着用するスティル・スーツ(砂漠用のボディ・スーツ)です。熱を分散させる機能だけでなく人体から排泄される僅かな水分(汗や小水など)を回収して濾過した水を蓄積し、それをポケットに装着しているパイプから飲むことが出来るという代物です。惑星全体が砂で覆われている過酷な環境で生き残るためのサステイナブル "sustainable" な機能を持っているのです。光合成を行うスーツも循環型機能を備えていることは同じ発想でありましょう。未来はそこにあります。
しかもデザイナーでもある彼女は機能だけでなく、アートやファッションとして美しいデザインを目指しているのです。人間と自然界、テクノロジーとアート、ここにもフュージョンがあるのです。どちらか選択するというのではなく才色兼備が良いものです。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は運動ニューロンに変性が起こる疾患です。アミノ酸代謝異常や遺伝子異常などが疑われているらしいのですが未だ原因不明であり、従って有効な治療方法もありません。現在に至る医学の進歩は目を見張るものがありますが、まだまだ難問は山積していますし、治療が困難な難病は沢山あります。
全く持って門外漢ではありますが、医学が獣医学や生物学に止まることなく様々な分野のテクノロジーを融合(フュージョン)することで既存の常識破壊を自ら行い理論の再構築をすることで病因究明が果たせるのではと感じられます。医療及び医療機器がそれらを模索する事を希求しますし、様々な視点が入ることで知見を共有できることで治療する術を、その活路を見出せるような気がします。難題である事は承知していますが、従事されている方々の達観と行動を期待してやみません。
虹をつくる番組を観たのを思い出しました。科学教育番組と題して細野晴臣がナレーションを担当しており、「やってみなきゃ、分からない」というのが趣旨だそうです。台湾まで出向いて嘗て(かつて)塩田があった七股塩山で塩を調達して水と塩水で光の屈折率を変えることで大空いっぱいに虹を架ける挑戦をしていました。屈折率を変えることで光のスペクトルが円弧上に並んだ「虹」を空に造成するのです。七色とまでは行きませんでしたが、青い空に綺麗な虹が架かる様は壮観であり、やってみることの重要さを改めて教えられた気がしました。
そういえば「虹」だけでなく、完璧な「雲」を室内に創れるようになったのだという記事を拝見したのを思い出しました。雑誌で拝見した写真には部屋の中に小ぢんまりとした雲が浮かんでいて奇妙な感覚を植え付けられました。これは技術だけではなく芸術でありアートなのだそうです。確かにそこはかとなく前衛的な匂いがします。ここにもフュージョンを見つけることができました。そして、そう遠くない将来には天候に至るまで調整できるようになるのかもしれません。自然との調和(ハーモニー)です。
「虹」はフランス語で "L'Arc~en~Ciel"「ラルカンスィエル」もしくは「ラフカンスィエル」と発音します。英語にすると "The Arch in (the) Sky" つまりは「空に架かる橋」であり「虹」を意味します。
この「虹」をバンド名にした「ラルク・アン・シエル」"L'Arc~en~Ciel" という日本のバンドがいるのですが、彼らがリリースした第七弾シングル曲であり、5thアルバム「HEART」に収録されている「虹」という曲があります。バンド名を意味する「虹」をタイトルとしたのは彼らにとっても特別な想い入れがあるものと憶測されます。
この「虹」という曲で聴かせてくれるのは、アコースティック・ギターのアルペジオで奏でるイントロから続くヴォーカル hyde(ハイド)の独特な憂いを帯びた歌声はまるで希求の願望を訴えるような叫びであり、その伸びやかで中性的妖艶さを兼ねた声質と彼自身による歌詞とが相俟ってまるで心の奥底で魑魅魍魎が蠢く(うごめく)様な曖昧にしか表現できない感情を呼び起こし、直後にそうして沸き起こったそれを逆撫ですることでしょう。
「誰より高く空へと近づく、輝きをあつめ光を求める」
「虹」と「希望」は似ています。虹が目に見えない空気中の僅かな水滴の具合で偶然に発生するのと同じく「希望」もそれが叶うのであるのか否かを人が知る由もないからです。運良く虹を見る事ができたとしてそれを追い駆けて間近で見ようとしても虹は逃げていってしまいます。もし希望を追い駆けたとしてもそれが適うとは限らないのです。虹も希望もそれを見る位置が重要となります。
そして「希い(こいねがい)望む」と連ねて「希望」と書きます。希望とは希求する望みであり、願い求め訴えること、その行為こそに人間として精神的支柱が存在するのでしょう。人には生きる糧として希望が必要なのです。悲しいかな希望なしには生きていけないのです。喩えそれが儚い望みであったとしても。
喩え僅かな間でも彼女にとって大事な時間を家族と一緒に過ごせることを蔭ながらお祈りします。
「終わらない未来を捧げよう」
次回もお楽しみに。
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