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第44回 シップビルディング 2015年4月

 英国ロックバンドのポリス(The Police)のフロントマンでロックスターのスティング(Sting)が十年振りにアルバムをリリースしたことが一昨年(2013年)に話題になりました。タイトルは「ザ・ラスト・シップ」"The Last Ship"というアルバムで戯曲のために書き下ろした作品になっています。昨年にはブロードウェイ・ミュージカルとしても公演されました。

 ヒット・メーカーであった彼が十年もの長き間に亘り作品をリリースできなかったのは、「ある日突然、曲が書けなくなった」とスティング自身が独白しています。ポリス、そしてソロになってからも名曲の数々を紡ぎ出したスティングが、なんと頭の中が真っ白になって何も思い浮かばなくなってしまったというのです。スティング自身の発言によれば、ファウスト(Faust)の如くメフィストフェレス(Mephistopheles)と契約した作曲の才能は奪われてしまい、その創作の代償のための魂(曝け出したプライバシー)も底をついたのだと感じていたそうです。

 彼はその時、皮肉なことに今まで避けてきた自分の生まれ故郷の景色を想い出したのです。故郷を捨てた逃亡者である彼が自分の故郷での物語を紡ごうと思った瞬間に身体の奥底から噴き上がって来るものがあったのです。それは、幼い日に見た光景、身近に居た特徴のある登場人物、そしてストーリーのアイディアが溢れ出して完成された曲が眼の前に出来上がっていたと語っています。それは自分のためでなく他の誰かのために語ろうと思ったことで、今まで以上に自分自身を曝け出すことにもなったのです。

 スティングが生まれ育ったのは、英国北東にある岸辺にある「造船所」で働く人々が暮らしている貧しい小さな街(ニューカッスル・アポン・タイン,Newcastle upon Tyne)でした。その騒々しく危険で貧しい街を飛び出してロックスターを目指した彼が辿り着いたのが、家の前の道の先に建造中の巨大な船が停泊して大きな影となって日中も暗く陰っていた原風景、幼少期に焼きついた故郷のあの景色であったことは得心します。自分を辿る旅に出掛けるのは、邂逅の森を散策することであると同時に、必ず最後には行きつく必然の道程とも言えましょう。幾度となく回帰するたびに新たな発見があるのです。

 そして、ここでモチーフとしている「造船」をまさにタイトルに付けた別の名曲が存在します。

 「シップビルディング」"Shipbuilding"は、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)とクライヴ・ランガー(Clive Langer)の作品であり、ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)が唄っている名曲中の名曲です。

 想い起すと浪人時代に故郷を離れ下宿していた札幌の狸小路商店街の端にあった輸入レコード屋(UK Edison)に通い詰めていた頃、ラフ・トレード・レコード(Rough Trade Records)という英国インディ・レーベルから1982年に発売されていたEPレコードで聴いたのだと記憶しています。(後に名盤「ナッシング・キャン・ストップ・アス」"Nothing Can Stop Us"というシングル・コンピレーション・アルバムのLPレコードのボーナス・トラックとして"Shipbuilding"も含んだ版も後日リリースされました。但し、ボーナス・トラックが含まれていない復刻版CDも存在しますので入手の際にはご留意ください)

 当初、エルヴィス・コステロとクライヴ・ランガーなど、製作者側は創作した曲を四つのバージョンでリリースする計画を立てたそうです。四人のボーカリストをゲストにして四つのバージョンで収録するという企画です。しかしコステロが歌詞に手を加え「シップビルディング」とタイトルを決めた後にロバート・ワイアットにまずアプローチしたことで彼が最初に唄いました。ロバート・ワイアットがこの曲を唄ったために、その行為自体がこの曲を特別な曲と昇華させてしまいロバート・ワイアットのバージョンこそが唯一無二の決定稿になりました。他のシンガーが歌うこと自体が無用になってしまったのです。

 後程、エルヴィス・コステロは自身の名盤アルバム「パンチ・ザ・クロック」"Punch the Clock"の中でこの曲を唄っています。コステロ自身の作品でありますし良い出来栄えであるのですが、つい聴き比べてしまうとロバート・ワイアットの森羅万象を超越し諸行無常を奏でる歌声の「シップビルディング」は別次元に位置していると言い切ることができるのです。

 ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)はプログレッシブ・ロック・バンドであるソフト・マシーン(Soft Machine)のドラマー(兼ヴォーカリスト)としてデビューしました。その後(ソフト・マシーン脱退後)に些細な過ちでの事故により重傷を負いました。その後遺症のため下半身不随となったためにドラマーとしての活躍は奪われてしまい、車椅子の生活を余儀なくされることになりました。

 以前のコラム記事(「第37回 600万ドルの男」)にも体躯を拡張する技術の進歩について記載しましたが、義手や義足と同じように車椅子の進歩は著しくスタイリッシュなデザインだけでなく機能としてのスマート電動車椅子や階段昇降が可能な電動車椅子も登場しています。果てはキャタピラーが付いてどんな悪路でも自走できるものや、ゴルフをプレーできる車椅子までもがある様子です。この延長で考えていくと、車椅子という道具は歩行者が自転車に乗って遠くまで行けるのと同じ感覚なのだという理解が可能になります。車椅子の技術による機能の進化は歓迎すべきことであり、有用な車椅子を場面毎に使い分けることができる程、安価に入手可能となって普及が進むことが望しいです。そうなることで気軽に外に独りで出掛けることで活動の場が増えるのは間違いないのでしょう。

 近頃、ダービーという名前の犬(Derby the Dog)が3Dプリンターで作って貰った義足で楽しそうに走り回る姿がニュースになりました。ダービーの二本の前脚は先天性奇形のため義足を付けないと肘で歩く他ないのです。あやうく安楽死を逃れたダービーに義足を作ってくれたのは里子として引き取ったタラ・アンダーソン(Tara Anderson)さんでした。当初、木製の義足や車輪型の義足まで色々試したのですがしっくり行きません。最終的にクッション付きの特製義足を装着してダービーは全速力で走り回ることができるようになりました。加えて3Dプリンターで製作しているため、ダービーの成長に合わせて簡易に設計やサイズを変更可能で安価に製作ができるのです。このニュースが技術の進化が身近な生活の中で直接に影響しているのだと気づかせてくれます。

 もちろん、それら技術の進化に因る利便性は望ましいことであるのは間違いないのですが、それだけでは不十分なのではとも考えが及びます。やはり、一番大事なのは周囲の人々の理解と当人の気の持ち様であろうと想いを巡らしています。技術を使うのは人であるからです。そして彼女のダービーへの想いが義足という形になったのも同じことなのだと。

 今回は「シップビルディング」という曲名を聴いたことが切掛けで昔の日記を紐解いてみました。回想での邂逅に暫しお付き合いください。

2006-03-23 (THU)

昨日の夕方、しとしと春の雨が降ってきた。

皆、傘の用意がなくて小走りに家路を急いでいた。
同じく、私も雨を避ける様にバス停に向かった。

バス停には、既に行列ができていた。
その列の少し離れた場所に車椅子の人が居た。

バス停には、雨よけのための少しばかりの屋根がある。
その端っこに車椅子の人が俯いて佇みバスを待っている様子だった。

ほどなくして一台のバスが到着した。
行き先が違うので次を待つことにした。
車椅子の人も乗らない様子。
すぐに二台目が来た。
皆がこの行き先の様子で順番に乗り込んでいる。
私もこのバスに乗り込んだ。

列の最後に並んでいた私がバスに乗り込み終わると、
突然バスの運転手さんがマイクで喋った。

「乗りますか?」

スピーカーから割れた音声が響いた。
すぐさま、

「ハイ。」

と車外にあるマイクから声が返ってきた。
もしかすると誰かの帰りを待っているのかもしれないと、ふと思ったが、やはりバスに乗るようだ。

バスの車内は混み合っている。
雨の日特有の湿度の高いねっとり感が暗闇に助長されて
車内は陰鬱な雰囲気に包まれている。

運転手さんはバスのエンジンを止めて運転席を降りた。
雨の中、彼は車椅子で乗り込むためのリフトを設置した。
そして、車内に座っていた人に声を掛けた。

「車椅子の人が居ますので。」

発せられた言葉の意図に気が付いて、そそくさと立ち上がる女性二人。
混んでいて奥の方が良く見えないが、
バスの中にさっきの車椅子の人が乗り込んで固定された様子だ。

「XXまで乗ります。」

搾り出すような声が聴こえた。
終点まで乗ることを運転手さんに告げた。

以前から気になってはいたのだが、
最近のバスは車椅子の人がそのまま乗れる造りになっている。
もっと良いバスだと昇降用のリフトも自動操作になっているのもある筈。

バス車体中央の降車口の直ぐ傍にある座席二つが折り畳まれ、
そこに車椅子が入りベルトで固定されるという仕組みである。
でも実際にどのように使われるのかは観たことが無かった。
ちゃんと乗れるのだろうか興味があった。

車椅子の人を乗せると運転手さんは運転席に戻りバスが発進した。
運転手さんは雨の中、きびきびと行動していた。

バスは走り出したが、まだ気になっていた。
混雑する車内の奥に埋没している車椅子を目で追って探した。
バス停では顔を俯いていて良く判らなかったが、
まだ若い女の子だ。
毛糸の帽子を被っている。
そうか車椅子だと雨の日でも傘がさせないのか。
俺はそんなことにも気づかなかった。

同情するのは、お門違いなのは承知している。
彼女が何故、車椅子に乗っているのかさえも知らない。

でも「もし自分が車椅子だったら?」と考えずにはいられない。
なにせ自分を省みれば小学生の時に交通事故に三度も遭遇した落ち着きのない人である。
他にも骨折を四回してその度毎、お医者さんに「最近の子供は」となじられた。
そうでなくても考えずには居られない。

頭の中でロバート・ワイアットの唄うシップビルディングが聴こえてきた。

独りで車椅子に乗って外出するだろうか?
車椅子でバスに乗ろうとする勇気があるだろうか?
狭く重苦しい空気の中で大きい車椅子に乗り小さく縮こまって居られるのだろうか?

談笑する声が聴こえてきた。

声のする方を眺めると、車椅子の前に
折りたたまれた座席に寄り掛かった可愛い女の子がいる。
どうやら途中からバスに乗ってきた彼女の友達の様子だ。

混雑する車内の人垣の隙間から、歯並びの悪い白い歯がこぼれている。

車椅子の彼女の明るい笑顔であった。

(本稿は九年前の「2006年3月23日」に書いた筆者の日記から引用しました。)
次回もお楽しみに。

 


 

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