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ついさっき思いついた「何か」をなかなか思い出せないということがよくあります。近頃は特に印象に残るような語感の単語ですら新しい言葉を覚えるのに苦労します。自身の短期記憶の劣化が著しいと強く感じます。加齢による要因も少なからずあるのでしょうが、認知症の初期段階ではと考え始めると恐ろしいのです。皆さんも会話中に「あれ」や「それ」を連呼したことや、今しがた「何をしようとしていたのか?」を不意に失念してしまう経験を少なからずお持ちかもしれません。
平成22年度時点の日本では65歳以上で認知症を発症するのが7人に1人という数字があります。
前述の「恐怖」の理由は認知症の普遍的な中核症状として記憶障害が発生するからです。認知症の疾患には、異常なたんぱく質が溜まる、あるいは、神経細胞が機能を失うなど様々な原因が考えられますが、その結果として運動機能や記憶に障害を起こします。
その認知症の初期段階では、過去のことはしっかりと覚えているにもかかわらず、新しいことを覚えることが困難になることがある症状を知りました。今さっき起こった事象を短い時間ですらその記憶を保持できないのです。さらに症状が進行することで過度な執着、妄想などの異常な行動や判断力の低下へと問題が顕著化する場合もある様子です。さらに短期記憶(海馬)だけでなく長期記憶(大脳皮質)に至る神経細胞(ニューロン, Neuron)に障害が達すれば、情報が消失する、もしくは情報の検索に失敗する、そのどちらにしても結果として忘却してしまうことになるのでしょう。長期記憶の情報にアクセス出来ないこと、それ故に自分を失ってしまうのです。
以前のコラム「記憶の倉庫」で記憶が人格を形成する重要なファクターであることを書きました。記憶こそが自我を形成しているのであって記憶を失うことで自分自身を喪失してしまうのです。そう遠くない将来に自分の名前すら思い出せず、自分で自分が誰だか分からなくなってしまう、という恐怖に襲われる妄想が頭から離れません。その恐怖が他人事ではない現実と切実な社会問題として自分を含めた現在の日本で改めて問われているようにも思えます。
ところで電子計算機にも記憶装置が存在します。海馬に相当する揮発性の主記憶装置(一次記憶装置、メモリ)、大脳皮質に相当する永続性の補助記憶装置(二次記憶装置、ストレージ)です。
コンピュータの最新動向では、この分類が曖昧になりつつあります。本来、揮発性である半導体素子メモリを使った高速なストレージとしてのSSD(Solid State Drive)登場による「メモリがストレージへ」という流れが既に定着しつつある一方で、次世代不揮発性メモリとしてMRAM(Magnetoresistive RAM,磁気抵抗変化メモリ)、ReRAM(Resistance RAM,抵抗変化型メモリ)、FeRAM(Ferroelectric RAM,強誘電体メモリ)、OUM(Ovonic Unified Memory,カルコゲニド合金による相変化記録メモリ)などの新技術が商用化されれば高速、大容量、省電力を兼ね備えた待望のストレージが登場してくることでしょう。これらのストレージが本来のメモリの役割も担うことになれば逆ベクトルとしての「ストレージがメモリへ」という可能性もあり得ることです。このように主記憶/補助記憶の垣根が取り払われてコンピュータ・アーキテクチャが大きく変化しようという胎動が(二年程前から)伺い知れます。近い将来、記憶装置が進歩することでハードディスクを前提として論理構成されたファイルシステムは大きく変貌を余儀なくされ、それによりオペレーティングシステムに少なからず変革をもたらすことになるのでしょう。
また他方では、コンピュータの長期記憶装置(三次記憶装置)であり記録媒体として長年使われてきた磁気テープが見直されています。
オープンリール(Reel-to-Reel)、QIC(Quarter Inch Cartridge,1/4インチ・カートリッジ)、Exabyte(8mm)、DDS(Digital Data Storage)といった変遷を経ても常に磁気テープがデータの配布媒体及び記録媒体として主流でしたが、その王座を近年CD/DVDなどに取って代わられた感がありました。その磁気テープが復活を果たそうとしています。昨年(2013年)頃から磁気テープでのバックアップ・システムが堅調でその理由は最大の特徴である(オフラインの)データ・バックアップとしての信頼性なのですが、課題であった大容量化に画期的な進歩が果たせていることが磁気テープの復権を牽引する大きな要因となっています。
一巻のテープに大容量のデータ(154~185テラバイト)を記録できる技術を各社(IBMと富士フイルム、ソニー、日立マクセルなど)が現在開発を進めているそうです。技術改良を加えた点として、磁性体の微粒子化と安定性そして磁性体を均一に薄膜塗布する技術も編み出したのに加えて読み書きを行うドライブ側ではナノメートル精度を誇るヘッドも開発した結果だそうです。つまりは、増え続ける大量データを長期保存するという目的に合致したのです。磁気テープを後押しするもう一つの要因としては、震災の経験を経たことによる超長期データ保存の重要性の高まりが挙げられます。
この長期データ保存にDR(Disaster Recovery)を加えた選択肢として必然的にクラウドサービスが視界に入ってくるでしょう。低コストでアーカイブやバックアップに適しているサービスもあり、例えばAmazon Glacierはサービス版のテープ・バックアップに位置付けされるもので同じくアマゾンのオンラインストレージであるAmazon S3からシームレスにデータ・アーカイブを行うことが可能です。また肝心の耐久性も99.999999999%とAmazon S3と同等レベルを誇ります。これは従来のバックアップの概念を変えてしまうものとなるでしょう。これらはコンピュータの長期記憶機能を拡大しています。データ失わない、そして、データを永続的に保持するため技術が重要視されています。
蓄積された記憶があることで、必要な情報の取り出し方が重要になってきます。前出の過去コラム「記憶の倉庫」ではスティーヴン・キング原作の映画「ドリームキャッチャー,"Dream Catcher"」 で「記憶の倉庫,"Memory Warehouse"」は記憶をビジュアル化したものでした。記憶のひとつひとつが書籍として表現されており、それらが沢山ある部屋にある各々の書庫に分類されている様子が脳内で記憶を整理する比喩として秀逸でした。別の過去コラム「シャーロック」でベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch) が演じる「シャーロック,"SHERLOCK"」の情報処理能力の高さとリテラシーの必要性を謳いましたが、シャーロックでは情報を引き出す際に「記憶の宮殿(マインド・パレス),"Mind Palace"」を使っています。記憶の宮殿から引き出された情報の断片がフラッシュバックされた複数の文字列(単語)として現れシナプスを伝達することでニューロンが繋がり、あたかも点が線となって意味を形成する様が映像化されています。この「記憶の宮殿」は"Memory Palace"もしくは"Method of Loci"とも呼称されており、記憶の置き場所を自在に操作することで任意の情報を取り出す究極の記憶術です。訓練すれば身につけることも夢ではないそうですので、是非とも自身の脳内でマスターしたい特殊な能力ですが、自分の脳ではなくコンピュータを記憶装置として見た場合にエンジニアとして必要とされる能力でありましょう。
ところで冒頭の話題について回帰するのですが、認知症による徘徊(はいかい)で行方不明者が一万人(平成24年度時点)に及ぶというニュースが報じられています。
北海道釧路市では「徘徊認知症高齢者SOSネットワーク事業」として組織を横断した取り組みとして警察、自治体、ハイヤー、トラック業界などと地域の方々が連携し行方不明者の情報共有を図り、FMラジオで周辺地域のリスナーに保護を呼び掛けるという試みを行っているそうです。迅速な情報共有を行う理由は厳寒の地で発見が遅くなれば徘徊者の生命の危険に直結するからにほかなりません。
昔のラジオ番組では、「尋ね人の時間」というのが毎日定時に放送されていたそうです。
太平洋戦争の終戦後に始まったラジオ(昭和21年~昭和37年放送)で復員兵や引揚者を、家族や仲間が消息を尋ねる依頼の手紙を放送するという番組です。戦後の混乱の中で離ればなれになった肉親、復員したはずなのに故郷に帰ってこない傷痍軍人など再会を心待ちにする待ち人からのメッセージを第三者の視点で感情を抑制することで簡潔に淡々と抑揚なく読み上げるアナウンサーが印象的だったそうです。このラジオのお蔭で多くの方が「尋ね人」を探すことが出来たそうです。
決して他人事ではなく自分の身にも起こり得ることとして、今まさにこの「尋ね人の時間」が必要になっているように思えます。現在ではラジオだけに留まらず広く情報を伝達する方法は幾つも存在します。情報を的確に伝達する技術をこのような社会問題にこそ役立てて欲しいと願います。
いつものように散歩に出掛けたとある晴れた日。信号機が赤に点灯し立ち止まった交差点で、辺りを見渡すとそこは見知らぬ場所。どっちの道に行けばよいのか判らなくなり途方に暮れてしまうかもしれません。
茫然自失となり見上げた空には、果たして何が見えるのでしょうか?
次回もお楽しみに。
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